ラノベ書きしもの日記

ワナビの日記

読書感想「国のない男(カート・ヴォネガット)」

 カート・ヴォネガットの最後の本、最後のエッセイである「国のない男」を読んだ。

 各章はヴォネガット手書きの文章が表紙としてあり、次にひとつのテーマでのエッセイが進む構成。一枚目は有名な「善が悪に勝てないこともない。ただそのためには天使がマフィア並みに組織化する必要がある」ってやつ。

 この本は15年前のもので、思えば私がヴォネガットを最後に読んだのは10年ほど前だったか。久しぶりに読んで、ほっこりして、笑えて、この才能が私の見える時空から消えてしまったことが寂しいなと、そんなことを思った。もう一つ悲しくなったのだが、それは後述。好きな作家が「これが最後」と銘打って本を出す場に立ち会えることも、それを読めることも幸運だ。ヴォネガットを知らない人も、これから手を取ってもいいと思う。

 

 いかにもヴォネガットという文章が続いて、当たり前のように面白い。知性とやさしさとユーモアを持った賢者が人間を見限るむねを表明し、しかし賢くあってくれと、英雄はいるという願いを残す。

 生い立ち、ユーモアとの出会い、社会主義について。戦争について。どれも短く、ユーモラスで、しかし力強い。人類を批判し、アメリカを批判し、社会を批判し、戦争を批判する。特に環境破壊とブッシュ政権批判についてはユーモアはありつつも怒りに満ち満ちている。一方で芸術をたたえ、社会にわずかにいる賢い人をたたえる。大きな枠としてはユーモアの話だ。ユーモアとは何で、どうして重要で、ヴォネガットがどうとらえているか。

 いい言葉がどのページをめくっても続く。「社会主義は悪いものではない。キリスト教が悪いものではないのと同じように」とか。「何がいい知らせで、何が悪い知らせでしたか?」なんて、私もあの世で―ないだろうが―言ってみたい。

 今の世の中どうしようもないし、日本もどんどん悪くなっていっているのは間違いないのだが、そこで死ぬわけにもいかないし、どう生きたもんだろうかと悩みこそすれ、これを読めばわずかでも希望はある。しかし、どうにも日本もアメリカ的な悪くなりかたをしている気がして暗い気持ちにもなる。

 

 ヴォネガットを読むようになったのは、秋田禎信という作家が雑誌で紹介していたからだ。それから読むようになって、秋田先生の文章や価値観に根差すヴォネガットみに唸っていた。

 それと私がかつて好きだった平沢進というミュージシャンの文章は奇妙なものとして信者にウケているが、ヴォネガットを読むと強い影響を受けているとわかる。平沢進は自身のギターをロバート・フリップの編集と公言しているが、文章はヴォネガットの編集だと思う。

 かつて私は平沢進の音楽が好きで、氏のヴォネガットかぶれな文章も好きだった。だが、東日本大震災を「東日本大震災事件」と陰謀論的文脈で語っていたあたりで「やべえなマジか」と思って離れた。楽曲だけはそれからも追いかけていたが、何年か前から気付けば聞いていない。

 それはある種の失望だったのだが、しかしその失望は相手に自己の規範通り生きることを求めるある種の若い愚かな押しつけがましさでもあり、久しぶりにヴォネガットを読んでみてそんな若い日の苦い思い出を想起した。今なら失望はせず、単にその陰謀論の危険性をもって文句の一つでもSNSに言ったのだろう。

 少し前もヒラサワはロシアのウクライナ侵攻についての発言や、その前のトランピスト的発言で炎上していた。特にトランプについてはもともとの強い反米思想と、SP-2へのスタンスと白人至上主義的マッチョ思想が持つ反セクシャルマイノリティとのかみ合わなさから、そういった部分で氏にあこがれていたファンから反発を受けていたように思う。意外に思ったファンもいたようだが、しかし昔から資本家の支配、メディアの煽動を敵としており、さらに言えば昔かたぎの反米かつ陰謀論と親和性の高いニューエイジ思想かぶれでもあったので意外性はないと思った。しかし、オブラートに包むことがなくなってきたなと思った。

 このエッセイを読むと少し似たことを言っている気がする。例えばヴォネガットは「ナチの連中にたいして、われわれはひどいことをした」と語る。一方ヒラサワはナチス式敬礼をライブでやったことについて配信でこう語る「なぜ銃撃のポーズをしてもとがめられないのにナチス式敬礼はとがめられるのか、歴史の薄皮を一枚はいで考えろ」と。似ている。しかしヴォネガットドレスデン空爆の経験を経て、戦争は正義と悪ではなく、どっちも救いようがない凶行を犯したのだというスタンスで発言している。平沢はある種の反米思想や陰謀論者が持つ優越感が見える。そのスタンスの差はわずかだが、その小さな差が大きな問題なのだと思う。

 ヒラサワはギターだけでなく思想も、誰かの編集なのかもしれない。知性やユーモアは容易く他者を自分より劣ったものだという陰謀論者の快感に倒れやすい。そこへ陥らない愛や芸術や軽やかさがないと、ヴォネガット的思想は危ういのかもしれない。

 そんな風に昔の苦い思い出とか、こんなことを考えて勝手に悲しくなっていた。我ながらバカげた身勝手な文章だ。全然本の感想じゃないな、これ。