ラノベ書きしもの日記

ワナビの日記

無駄の無い曖昧さ 読書感想 ジーン・ウルフ『ケルベロス第五の首』

 国書刊行会から出ているジーン・ウルフの『ケルベロス第五の首』を読んだ。

 タイトルは知っているが長らく読んだことのなかった一冊。まず装丁がかっこいい。

 以下、ネタバレがあります。

 

 

 本作の感想を書くのは難しい。この本はそのSFや幻想文学としての強度の高いアイディアや、緻密な構成といった部分のすばらしさ以上に、読書体験としての面白さにその素晴らしさがあると思っていて、その体験の素晴らしさについて記述するには私の文章はあまりに拙い。

 緻密な構成、精緻な文章、徹底して作りこまれた一行一文字の無駄も許さんとばかりに徹底された小説。しかしそこで浮き上がる物語はあいまいで、明確につかむことができない。表題作「ケルベロス第五の首」では読み進めるにつれ、語り部について浮き上がる真実が読者を翻弄する。そして掴めないアイデンティティが、ついに物語すらとらえきれないものに変えてしまう。

 この経験が楽しい。ネタの解説とかをしても面白さは理解できない。

 語りえないものを語る方法は、語りうるものを語りつくし、その語りえないものの輪郭を明らかにするしかない。積み上げた無駄のない言葉と見事な構成が、そのあいまいさを明らかにする。曖昧である、ということを凡庸な作家ならただよくわからない作品としてしか描けないだろうが、この作品は見事に曖昧さを読者に届けている。

 クローン、宇宙、人、入れ替わり、幻想、といろいろなモノが混ざり合い、なにがなにやらわからないのだが、それは設定がごたついているからではなく意識や実存の不確かさを描けばそうなるのは必然だよねというお話。

 幻想小説って、こういった経験として、作家だけに見える幻に揺蕩う時間こそが楽しい。そしてその感想を告げることはとても難しい。理解できなかっただけだろと言われたら、反論の余地はない。その通り。ぐうの音もでない。

 でも楽しかったんだからいいだろと、それだけの感想。