ラノベ書きしもの日記

ワナビの日記

副題つけたらよかったのに 映画感想『テッド・バンディ』※ネタバレ

 テッド・バンディを観たので感想。ネタバレありです。

 4月公開のアイアンクローが楽しみで、ザック・エフロン成分を補給するために鑑賞。シリアルキラーという言葉を生み出した殺人鬼テッド・バンディの逮捕から裁判までを描く映画。原題は「Extremely Wicked, Shockingly Evil and Vile」という実際の裁判で読み上げられた言葉で、劇中にもタイトルとなるシーンがあるので、これを副題にしたらよかったのになと思った。

 

 バンディ事件を、被害者でも犯人でもなく恋人リズの視点で描くというのがユニーク。犯罪史上に残るシリアルキラーの映画で描こうと思えば盛沢山にできるのに106分という短さなのか、このリズ視点というところが大きいと思う。彼女はバンディが殺人鬼であることを知らないし、彼女の視点では冤罪を叫び続ける恋人の姿しか見えないし、断片的な情報しか訪れない。またシナリオは大胆に勢いよく突き進み、バンディの存在はエフロンの演技によって形作られる。特に前半は彼を信じるリズと、エフロンの魅力抜群の演技で形成される映画は、まるでシリアルキラーを冤罪によって構築された虚像のように語る。完全に意図して、冤罪被害者とけなげに待つ美女、というヒロイックな構造で映画を作り上げている。

 後半、あるひとつの暴力を経てようやくバンディの姿が見えてくる。あっさり次の女へ移る様なんかも見えてきて様子が変わってくる。そこからは真実が見えないまま裁判に突入し、そこではバンディのファンたちがつめかける姿を観客に客観視させる。実際のバンディが魅力的に映って多くのファンを生んでしまったように、本作は魅力的な人間を魅力的に映すことでその時代の観測者側の立場を追体験させ、そして当時の状況を浮かびあがらせる。人間は簡単に論理より魅力を選んでしまうというのを、感覚的に伝えたい構造の選択なのかもしれない(ラストで冷や水ぶっかけてビビらせたかっただけなのかもしれないけどね)。でもそれは美化だろう、という批判も理解できる。

 バンディが女性と会話するときに、常に行動を相手のためにして相手から「自分に結果の責任の一端がある」と思わせる誘導があり、同時に自分と運命共同体だと思わせる発言が続くあたり、ちゃんと危険な人間として描いてはいるけれど。

 その構造ゆえにタルくなる部分はあるが、この構造を作る理由があるので致し方ない。それもわかっているから106分の尺の短い映画にしたんじゃなかろうか。とにもかくにもザック・エフロンの芝居がシナリオを超えて君臨する映画で、一見の価値は絶対にあると思う。

 吹替版では当時の報道のみ字幕になる。こういう創作者の意図を汲んだ選択はとても良いと思う。