ラノベ書きしもの日記

ワナビの日記

ためてためて訪れる崩壊の見事さ 映画感想『大菩薩峠(岡本喜八版)』

 オチまでネタバレ。

 

 

 虚無に囚われた剣士・机龍之介(仲代達矢)が映画の最初から最後までずっと人を殺して回るやべえ話。ふらっと辻斬りするわ、試合が決まって対戦相手の嫁が負けてくれるように懇願してきたので了承して報酬として嫁を犯したあとに対戦相手を殺して勝つというめちゃくちゃぶり。でもって別の剣士を襲ったらめっちゃ強くて、虚無に囚われながらも自身の腕には自信があった机は大ショック。実存が揺らいで精神が壊れる。そしてある出来事でその均衡の崩れた精神に終わりが訪れて…というすげえ話。中心人物が全く好感を抱けない狂人。だが狂人を追う話はめちゃくちゃ面白い。ラストの大立ち回りへ向けてそこまでは意図的にゆったりテンポで話が進み、ラスト、精神崩壊した瞬間から結末までの加速たるやほんとに素晴らしい。

 精神崩壊した机は、自分が殺した相手の声を呪いのように聞き、それを振り払うためにすだれ(であってるのか? 日本家屋の知識がないので自信がない。っぽいやつではあった)を斬りまくるのだが、ここの演出も演技も狂気がまざまざと写される。あんなすだれで区切りまくったでかい部屋があるか? という疑問点も含めて、ここから先は虚実が曖昧で机視点の現実はこの先全く信用できない。それまで冷静にひいて人物たちを捉えていたカメラが、ここから急に角度を変えていく。狂気に直面するやいなや、冷静だったカメラが大きく揺れる(ここはラスト前の視界がゆがむところと対になる演出だろう、おそらく)。すだれを斬ってその中へ突っ込んで進むさまは、まるで客席と机を隔てるスクリーンを斬って虚構の外側へとはい出ようとしているようで、ここんところの演出がキレッキレでかっこいい。

 ラストの大立ち回り、新選組の隊士を斬った机が笑うところがよくて、自分では勝てない相手に出会ったことで心を壊した机にとって、おそらくは死へ向かう大立ち回りこそその実存を取り戻す行為だったのだと思う。時代劇が元気だった時代は役者がまあ素晴らしく動ける。途中、隊士の一人が机の脚元に飛び込みながら体をひねって回転し、バックステップでさけようとする机を宙で追って足を斬る技があるのだけどめっちゃかっこよかった(その後その隊士は倒れた姿勢ゆえに逃げ遅れてあっさり斬られて死ぬが)。

 最後は斬りあいの果てに視力を失い始めた机が狂乱の末、刀を振り回し、カメラに向かって振り下ろした瞬間に「終」の一字が現れて終わる。ぶったぎりエンド。これはそもそも原作が未完の大作で一本の映画にはそもそもできようはずがないこととか、原作通りだとこの後普通に机が逃げ切るから映画の終わりとしてはちょっととかいろいろあるわけですが、そういった事情を全て「狂気が映画を終わらせる」というエネルギーに変えたのがホントいい。

 終盤、机の視力が落ちる決定的な瞬間に画面もぼやける。そしてラストでは大きく揺れたカメラが切り捨てられる瞬間に終わる。物語の主役が視力を失い、精神が完全に壊れれば幕をおろすしかないという、視点となる人物が消えれば物語が消えるというメタフィクショナルなオチでもある。めっちゃいいオチ。これはあと「終」って文字がを出して終わる昔の映画の構造、舞台演劇でいうところの幕と同じ、虚構であるがゆえの世界の区切りが上手く働いている。

 いやーこういう溜めに溜めてドーンって物語構造って、昨今の配信カルチャーで頭からケツまで面白くないといけない時代にはなかなか出せないと思う。