ラノベ書きしもの日記

ワナビの日記

怨嗟の連鎖を断ち切るもの 映画感想『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』※ネタバレ

 映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を観たので感想を。結末までネタバレあり。

 

 あらすじ:昭和三十一年、日本財政界の大物である龍賀一族当主・龍賀時貞が死去。帝国血液銀行に勤める水木は龍賀製薬の社長であり後継者候補の龍賀克典とのツテを使い、出世のために龍賀一族の治める哭倉村へ向かう。水木が村を訪れてすぐ、時貞の遺言状により後継者が指定される。その翌日、後継者が殺害され騒然とする村人たちの前に、村長の長田が捕らえた不審なよそ者が連行される。男は下駄に着流し、片目を長い髪で隠したその長身の男は、行方不明の妻を探しているという。水木は出世のために必要なとある薬の情報を探すために、謎の男と村の調査を始める。というお話。

 

 面白かった。鬼太郎というビッグタイトルでこういったものが作られることもすごいし、シンプルに出来もいい。

 権力勾配によって生まれる搾取、差別。そして被差別者がさらに下を探して踏みにじる。ではそれを断ち切れるものは、という物語。直球の社会批判であり、同時に大人から子供まで知っている鬼太郎という作品を通して、希望まで描いている。とんでもねえ傑作だ。

 水木しげるの従軍経験も含め、現代において戦争というものを誠実に描いている。無意味にヒーローにするわけではなく。これと同時期にゴジラマイナスワンやあの花の咲く丘で~が公開されているのも奇妙な縁だ。

 いくつもの搾取構造が描かれ、それがどの人間もそこに取り込まれるように描かれているシナリオが見事で、誰もそこから逃れられないのだと見せつけてくる。

 村は時貞に支配され、誰もが村が裏で行っている「M」の製造のために罪を犯し続けている。幽霊族を捕らえ、彼らの血を啜りながら無関係の人間をさらって殺しMの材料を作る。そして水木に惹かれる少女・沙代は時貞に犯され子供を生む役割を背負わされていた。村は全て巨大な搾取構造で、時貞に全てを奪われている女たちは各々で互いに別の人間を見下している。唯一自由である幼い少年・時弥は、その命を弄ばれる。

 では村の外はその構造から無関係かと言えば全くそんなものではないという描き方が誠実だ。戦場で命をいいようにされた水木は、戦後には売血事業である帝国血液銀行に勤めている。売血貧困層への搾取で成り立っており、この時代の後大きな問題になる。そもそも龍賀の繁栄は国がMを買うからだ。社長室の金魚、人間の手で作られたチョウテンガン象徴的に世界を見下ろしていたように、この国が、世界が、そういった誰かを押しつぶし続ける怨嗟の連鎖で成り立っているということを、きちんとこの映画は忘れていない。

 ではそのまま人々はただ呪いあい、最後は村と同様に滅びるのか、といえば、そこにイエスと答えるような投げっぱなしの物語をこの映画は良しとしない。幽霊族の怨嗟が集められた穴で、それは示される。そこにあるのは友に生きてほしいという友情の願いであり、我が子が生きる世界が幸いなもので会ってほしいという切なる祈りである。それこそがこの無限に続く搾取構造の連続と怨嗟の連鎖を断ち切るものなのだというこの結論を、青臭いとか現実が見えてないなんて言っている冷笑は、もしかするとあの醜悪な老人と似たような形をしているかもしれない。

 このラストは最高で、醜悪な金持ちもそれにぶら下がって搾取し続ける人間もくだらないし、そいつらが皆殺しになるのは爽快だし、その搾取構造が間違いなく世界そのものであるなら世界がぶっ壊れる結末こそ正しい。ゲゲ郎と水木が肩を組んで崩壊する世界を見送る映画版ファイト・クラブみたいなオチでも成立しうるし、それはそれで気持ちよく終われるのだけれど、それこそパラニュークが911を経てファイト・クラブ的物語が成立しえなくなったと考えたように、「映画の中で世界が終ろうとこの世界を構築する人間はクソの群れだと看破されようと、現実の中で僕らは生きていかなければならないんすよね」という大前提に向き合って強引にでも美しい答えを掴もうとする。その誠実な語り方こそ、この映画のもっとも素晴らしい点だと思う。

 

 そんな物語の面白さ以外もまたよい。アクションは劇場版アニメらしくド派手で、陰陽師対ゲゲ郎なんてかなりワクワクするアクションだった。

 地下の血吸桜の風景は美しかったし、何もない田舎道にぽつんと立つ街頭に座る水木とか要所要所でいいなあと思う絵が多かった。

 主演二人の芝居もよかった。日本のアニメでも積極的にこういうテーマとがっぷり四つ組むようなものがバンバン作られてほしいな。

 大満足。