つまらな人間日記

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映画感想『天使のたまご』

 押井守の有名なわけわかんない映画『天使のたまご

 アマプラで配信終了前に駆け込み視聴。物語性を排してイメージの連続でみせようとする作品に、言葉での感想を書くのは野暮なので、このアニメについて書くのではなく、観て頭の中に浮かんだことを書こうと思う。なので以降は、とりとめのない文章が続くことになる。

 

 

 引用で成り立たせる、イメージの羅列で成り立たせるという、ラ・ジュテみたいな、押井守的映画構造の軸のような作品。独特で唯一無二のアニメで、こういう作品がしっかり一本の映画として作られたことがもうすごい。とはいえ無意識とか、少女、幻想、というものを描こうとすると少女をメタファーとして孕ませたりチンコみたいな戦車を出したりというイメージになってしまうのは、なんでそういうモチーフを誰しも選んでしまうのだろうかと思う。性欲がある男が描くんだからそうなるだろ、と言われればそうなんだけど。キリスト教徒でもキリスト文化圏の人でもないのにキリスト教の記号、モチーフを使って物語の説明を作品の外側に託して省略する試みは、結局のところ英語圏映画かぶれかスノッブでしかないのではないかと思うし、結局その手法はエヴァでそれっぽく設定を見せるために転用されたくらいしか後に続かなかったなとも思う。でも昨今の考察ブーム(という名前の元ネタ探し大会人気)を考えると、こういう手法はもっとバンバン出てきそうなもんなのになと思うのだけれど、たいていは映画の引用を誇るばかりで、それはそれでなんだかな。

 若いころ観たときにはなんかよくわからんな、と思ったけれど、ストーリーだけ抜け出せば普通の男女の映画で、そこだけ見るとやっぱり時代を感じる。というか古典的な物語構造、古典的な男女観だ。性愛をやたら大仰に書きたがるのは、古典的だが未だにけっこういる。でもそれは置いといて、本作は最初から意図的に物語性を排して、わけわかんないけど観ていると作画は凄いし観たことないアニメーションが観られるしそれだけでよくない? と思える。髪の毛の動きやべー、ファンタジー児童文学を読んだイメージを具現化したみたいな影魚狩りすげーとただただ見惚れる。監督が意図するものはあり、それは表現されているのだろうけれど、別に観客がそれに乗る必要もないし、とにかくイメージとモチーフを積み上げたほかにはないアニメがここにあるというだけで満足である。なんだか映画の内容を、監督の意図を読み取らねばならない、この物語の最適解は、みたいな国語の授業すぎる観方で観なくたっていいのになと人の感想を聞くと思うことがままある。本作を「超難解なカルト映画」みたいに紹介する人とかをみると、特に。

 ストーリーのドライブがなくてもそこに圧巻のイメージがあれば飽きない、楽しい、興味が尽きない、それこそファンタジーの(今の時代で言えばあえて幻想と名乗るタイプのファンタジーの)1形態だと思うのだけれど、それは基本的に小説の領分で、アニメだとそうそう出会えない。

 押井守が好きだといいつつ実写とか近年の作品を観ていない人はぜひ『血ぃともだち』とか『ぶらどらぶ』を観てほしい。本作と違って一見普通の劇映画みたいな装いをしている分、余計にわけのわからないものになっていて、それによってただのすごくつまらない映画として見えている。当人からすればずっと毎作品意図をもって作り実現しているとのことだが、まあ全く面白くないしよくわからないし、ただ作品を作り続けることしか考えていないようにすら思える。でもそれは単に、天使のたまごのように観客を自分の描きたいものに誘導する手練手管や、煙に巻いてなんかすごそうなものにみせる策略を、押井守は手放して作るようになっただけなのかもなと、本作を観て思った次第。