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美しさが偽装する罪。あと羽川の扱いが 映画感想『傷物語 こよみヴァンプ』※ネタバレ

 西尾維新原作、シャフト制作の劇場版アニメ『傷物語 こよみヴァンプ』を観たので感想です。

 

 2016年から三部作で劇場公開された傷物語を、元の素材を使いつつ再編集して一本の映画にまとめた作品。合計216分だった前作を144分にばっさりと大短縮。

 私は冷血篇まで全て当時劇場で観て、その後は観返していないのでストーリーは覚えていたものの画や芝居はけっこう忘れていたので新鮮に観られた。今観ても特異な映画だし、素晴らしいルックとレイアウト、全体の制御、いい芝居。いいアニメ。

 当時はこの短い原作から三本も映画作るんだろうと思ったし、実際観ていて引き延ばしに感じる部分もあったのだけれど、いざ大幅に短くした本作を観るとその長さが原作の物語シリーズの持つある種の面白さを担保していた部分も大きかったのだなと認識。本作は傷物語エロコメ部分がばっさり切られており、何故かテレビシリーズから大幅に性的に使われていた羽川さんの出番がばっさり削られている。

 その効果は間違いなくあって、一つに物語がシャープになり、この物語から本筋を削りだすとどれほど救いがなく凄惨な、そして愛おしいキャラクターたちの物語であったかがよくわかる。西尾維新作品の中でもかなりの傑作だよなあこれ、と再認識できるし、スピーディーになる分様々なカットの持つ力も鮮烈に映る。原作・三部作・本作と見比べることで、原作からのエピソードのチョイスや編集というものがどのように物語を受容する際の印象を変えるかという点で非常に面白かった。ラノベってどうしても原作通りアニメ化することを求められるし、こと物語シリーズはかなり原作をそのまま使う印象があるのでなおのこと面白い。

 だけどこのそぎ落とされた無駄話が、阿良々木暦という男のキャラクター性の主軸みたいなところがある。傷物語は雑誌版からエロ増量で単行本になったいきさつがあるとはいえ、その後の物語シリーズを追ってきた身からするとどうしてもその長話やギャグ会話があってこそ物語シリーズとも思ってしまう。というかこれだと他の物語シリーズとつながらないから、これが成立するのは再公開だからこそだよなあ。

 羽川翼の出番が削れたことで、キスショットと阿良々木という二人の関係性が濃く映る一方で、羽川の都合のよさが際立つ。羽川は(この物語では)都合のいい人で、それが故に本編ではああなるわけだけれど、そこがカットされるとちょっと寂しい。物語全体が性急になる(カットしているから)がゆえに、羽川の存在がたぶんこの映画だけ観ると何者なのかよくわからないんじゃないか。これはいい悪いではなくて過去作も好き故の贅沢な悩みなのだけれど。羽川好きには酷な編集になった一方で、閉塞感のあるキスショットと阿良々木の関係性が軸となることで、二人の罪と罰と優しさの果ての凄惨な結末にかかわった羽川をキスショットが見つめるワンカットの悲しさが際立っていて、私はこれはこれで傑作になるための取捨選択だったと思う。

 ひっかかったのは元からあるオリンピックをモチーフとしている点で、これは傷物語の『美しいが、正しくない』という部分を、スポーツウォッシュで諸々の問題を覆い隠するオリンピックというイベントと重ねていたのだと思う。血を払った阿良々木暦とキスショット、血税を吸い上げたオリンピック、という重ね合わせもあるはず。美しさを言い訳にそれが起こす問題から目をそらし、そしてそれが破綻を招くというこの物語は、昔のラノベの無個性主人公の特性「やさしい」を西尾維新流にみつめた結果生まれたものだと思っていて、それをシャフト流のリアリティから大きく外れて彩る世界観作りにするとオリンピックを重ねることになるというのは、そもそも政治を持ち込みたがらない日本深夜アニメにおいてかなり踏み込んだ発明だったと思う。

 なのだけれど、実際のオリンピックを経た今、終わった後に何人か逮捕されこそしたけれど、ただ私腹を肥やして血を払わなかった人間がいて、ただ損しただけの人間もいてと、それがオリンピックだったということを誰もがわかっている。そもそもスポーツウォッシュは、洗う側の人間がいるわけで、では傷物語はと言えば洗う側の人間はいない。つまるところこのオリンピックモチーフって、非常にミクロな視点でのオリンピックなんじゃなかろうかと思う。となるとルックに圧倒されて当時は綺麗に物語と重なって見えたモチーフが、ちょっと違って見える。のだけれど、「それを選んだのはキミで、選らんだ責任を果たせ」という部分だけ見れば違ってもいない気もする。何よりこれは罪を背負って、それを自覚して生きる物語だし、こんなツッコミは重箱の隅を~ですかね。

 あと芝居が最高です。

 傑作。大好き。