映画『図書館の自殺』を観たので感想。
監督はユーロス・リン。調べるとドクター・フーとかシャーロックといったテレビドラマにエピソード監督で参加しており、主戦場はドラマっぽい。全編ウェールズ語の珍しい作品。ウェールズ語は英語という超巨大勢力に押されに押されるウェールズにおいて生き残るタフな言語。
以下、結末までネタバレあり。
あらすじ:母の末期の言葉から、ある男が自殺に見せかけて母を殺したと判断した双子の娘たち(キービジュアルの二人)。双子は勤務先の図書館を訪れた男を殺害する計画を立てるが、想定外のことが起こり失敗する。逃げる男を追いかける中で、双子は母の死に隠された真実を知ることになる。
きっちりかっちりタイプとずぼらでおっちょこちょい、という正反対の双子の復讐劇。と思いきや、計画はグズグズでダラダラ。顔見知りの警備員を眠らせたいのだが、方法が薬入りコーヒーを無理やり差し入れて飲ませるというパワープレイ。コーヒー飲めないんだ、なんて言われて下調べが足りてなかったり、無理やり飲ませようとしてこぼしちゃったり間抜けな感じ。しかも警備員の一人が超雑な人間で、閉じ込めておけば大丈夫だろうと思ったら勤め先の機材を破壊して脱出してしまう。
殺人もぐだぐだで、どこで手に入れたのか銃で脅して無理やり自殺させるのだけれど、下準備が足りずロープに問題があって失敗。しかも停電にびっくりして銃の引き金を引いてしまい、双子の片方が負傷。しかもその隙に男に逃げられてしまう。
この一連の計画とそのぐずぐずがエンタメを盛り上げる演出を排した地味な演出で行われると、80分代の映画とは思えないくらいのったりして感じる。しかも不穏な母の死というサスペンス要素はあれど双子の感情的背景が表にでないし、彼女たちの過去や背景もわからないし、突然始まるセックスも含めていまいち何を追いかければいいかわからない。ついていく軸がなくて、ぼんやりしている。
結局、双子の片方は認知症になった母のゴーストライターを勝手にやっていて、双子の片方はクリエイターではなく母を継げない自分に後ろめたさを感じて、復讐対象の男は実は母が子供を作るためにセックスした教え子だった。母の死の真相は、認知症で作家でいられなくなり、娘のことまで忘れてしまうことを恐れて自ら演出した自殺だった。全ては母が作家としての自分を後世に残すための演出だったのだ。というオチ。
双子の葛藤、男の苦悩、どちらも母の手のひらの上で、なんだこれヘレディタリーみたいな親の呪いの話なのかよ。と思ったら……
さらに場面が転換して、「実は双子じゃありません」「いままでの話は全部私の書いた母の歴史物語です」とどんでん返しがある。
これはそんなにびっくりしなくて、キャラ背景や内面が説明されず、やりとりやラストシーンから推測するしかないけれど、頑張って汲んだとてあまり面白くないから、ひっくり返されてもそんなにテンション上がらない。。
しかもどんでん返しの後、「自分という存在を歴史に残る語り手」として娘を育てていたことは事実っぽいまま終わる。遺灰を撒く役目=小説にして母の存在を世界に広げる=図書館に収蔵され死後も生き続けるという母の目的は果たされ、娘は役目を果たした。しかしそもそもこの担い手を娘にさせる時点でさほどいい母とは思えないし、結局母が支配的に子供の人生を決めているという劇中劇の嫌な部分はそのまんまだ。
なんというか構造もやっていることもわかるが、その上で受け止めきれない映画だった。原作は小説なんだろうか? 小説なら面白くなるとは思う。
そんな独白を娘が遺灰を撒きながら語るのだけど、海に撒くといいつつ半分くらい地面に落ちてないかこれ。
しかし、こういった枠物語っぽい構造って、小説だといいけど映画だとあんまり。最新のアカデミー賞受賞作『哀れなるものたち』は原作の枠物語構造をオミットしていたし、あんまり映像向けの構造じゃないのかも。