偉大なる熱砂とガソリンと車輪の神話『マッドマックス:怒りのデスロード』の前日譚。前作でも主役だった戦士フュリオサの成立を描く。
傑作。非ヒロイックな神話を英雄譚的な構造で紡ぐ新たな神話は、フュリオサを通して父性を中心とした男たちの権力構造を唾棄すべき害悪として描く。そこでえぐりだされる醜悪さは、そのまま前作をV8!!!と叫んではしゃぎまわっていた観客も含めて「そういうのカッコよくないし、カッコよさに乗っかってはしゃぐのも有害な構造強化しているだけだし」とジョージ・ミラーから冷静なツッコミが入れられたように思え、前作と接続して一つの大きな構造を形成させている。
強いだけの権力は腐敗していく、力で形成された上下関係は結局ただ陳腐な搾取構造で、その中で賢者も搾取されていく。そこには音楽で大いに盛り上げるような演出は無く、当然のように観客のための「ヒロイックな死にざま」もない。物語の欠落にすら見えてしまうジョーのぬるっとした退場も含め、徹底的に「男たちが語り継いだカッコよさ」を排除している。ではそんな中で神話の英雄となる存在は何者なのか。それがフュリオサのラストの姿であり、そして怒りのデスロードで描かれた物語だ。
フューリーロード的なものを求めていた人には肩透かしだったかもしれないけれど、同じようなことを二回やるわけないし(やったらFRに繋がらないし)、あとこれだけ現実の虐殺の映像が溢れる中で戦争ヒロイックにしてもなあと思うし、私はこれで大満足。
今回の敵になるディメンタスの造形もよい。片足を悪くして、妻子をなくし狂気に陥り、バイカー軍団のボスとして成り上がろうとする男。境遇含め闇へ堕ちたマックスのような彼は、マックスとは異なり名にこだわり、少女を拾えばグルーミング、赤にまみれてテンションアップ(ここ好き)、バイク三台つなげた戦車を駆る乱世の傑物……にとして観てしまいかねない醜悪な男。扇動は上手いし頭もそこそこ回る。そんな彼の栄光から転落がこの物語の軸ではあるのだが、それもカッコいい成り上がりにはならない。それどころかその死は明確に描かれることはなく、フュリオサの神話の一部として取り込まれて終わる。
ディメンタスとはこのヒロイックを排除し、エピックを成立させず、それでいて神話を作るという構造の映画にふさわしい設計の悪党だ。彼は狂っていて、本質的に求めるのは『エピックな瞬間』だけ。だからあのシーンで飽きたと言えてしまうし、たまたま赤い信号弾の煙を浴びただけであんなにテンションが上がるし、ヒストリーマンを傍に置くのは刹那に生きる彼は歴史に執着があるのだろう。そんなエピックジャンキーにとって最高にエピックな瞬間となる復讐のラストを、この映画は奪い取ってしまう。そこにこの怒りの神話の強さがあると思う。
この怒りの神話が語り継がれることで、陳腐な権力者の世界にノーを突きつけ続けることができるはずだ。
好きなところを語ればキリがない映画だ。
だが一方で、この映画が批判する男性中心社会の陳腐さが直撃する対象である自分自身がこんな映画の表面をなぞってわかった気になっていいのかという気もする。そのくらい重たくてコンテキストを積み上げた映画だ。これ観て頭空っぽでヒャッハー男の映画だぜって感想になる人は、ちょっと意味がわからない。