ガブリエル・ゼヴィン著、池田真紀子訳の小説『トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー』を読んだので感想を。結末までネタバレありです。
あらすじ:ハーバード大学に通うサムは、MITでゲーム作りを学ぶハイディと再会する。二人は幼い頃、サムが入院する病院で出会い、ゲームを通じて親友になった二人はその後長い間疎遠になっていた。再会を機に二人はゲーム制作を開始、二人が作ったゲーム[イチゴ]は大ヒットする。だがヒット後に二人の方針は食い違い、関係に亀裂が入っていく。二人のゲームクリエイターの人生を追いかける、ゲームと人生の物語。というお話。
傑作です。仕事、ゲーム、愛、友情、つまりは人生の物語なので、ゲームクリエイター小説と聞いてゲーマー以外は門前払いと思われている方がいたら全然そんなことはないのでご安心を。ゲーム知識ゼロでも全然問題ないです。現に私は全くゲームをやらない人間ですが非常に楽しみました。
緻密なプロット、丁寧に配置されたイベント、一冊の物語として綺麗にまとまるキャラたちの設定、練りに練られた丁寧な小説で読んでいて非常に入り込みやすく、それでいて説明的すぎない。少し長めの長編小説だけれど、二人の主人公の視点が入れ替わり、時間が前後し、さらにインタビューが挟まったり、同じ人物でも視点を変えて語り口を変えたりと飽きさせない。本当によくできていて、色々と勉強になる。
サムのキャラ造形が見事。ハードモードすぎる子供時代を経て形成された彼の人格は非常に子供っぽくてわがまま、他者へ踏み込めないけれど一度閾値を超えると踏み込みすぎる、そしてゲームの天才でありある種の人間に愛される。
母の死を目の当たりにすると同時に片足に重傷を負い心を閉ざしたサムは、虚構によって救われる。それは自動車事故で負った障害はゲームへ入り込むことで癒され、母を失った孤独は「ボランティアであることを隠した」セイディとの交流で癒される。
つまりこの小説は少年を救った二つの虚構と向き合い、そこへ借りを返すような物語だ。ゲームが仕事になり、プレイヤーであると同時にクリエイターになったことで商業的な成功も必要となる。そして会社のトップとなったことで、サムにとってはゲームは虚構と現実の両側面を持つようになる。ゲームには虚構と現実の両面があって、プレイしている間束の間現実を忘れる虚構と、ゲームを通して人と関わる現実の側面がある。サムは虚構に救われ、さらにゲーム制作に救われながら、その現実、ゲームを作るにもプレイするにも結局他者の存在があるという事実を前に、苦悩し打ちのめされしかし前へ進む。
愛するものが仕事になったときのままならなさ、そして愛するがゆえにそれを越えられるという希望。そしてなにより、それが大切な人ととの関係を維持し前へ進め、時に救い合うことになるという展開は、ゲーム・仕事・愛への誠実な信頼だと思う。
セイディを通したゲーム業界の男社会っぷり、社会の男社会っぷり、同性愛嫌悪の襲撃者というマッチョな価値観への批判もまた。ゲームを描く上でここを避けないのも誠実な語りだと思う。
いい小説だった。
ちなみに私はワナビなので作中の「創作者には学ぶ過程で、目が肥える一方腕がまだ上がっていない状態において、自作がつまらなく思えるときがある」というシーンが刺さってしまった。