ラノベ書きしもの日記

ワナビの日記

永遠より求めたいもの、【ふゆ】のその先 シャニマスコミュ感想『P-SSR 【三文ノワール】黛冬優子』※ネタバレあり

 アイドルマスターシャイニーカラーズのP-SSR【三文ノワール】黛冬優子を読んだので感想を書きます。結末までネタバレあり。

 

 限定カードを連続五回も重ねた担当泣かせの冬優子の新カードは、担当P必読の傑作でした。非常によくできたコミュで、そして非常にしんどい物語で、解決をみせずに終わらせるのでさらにしんどさ倍増し。

 一つ目のコミュタイトル【発火1/2】がフェリーニの映画「8 1/2」のもじりであるように、本作はコミュタイトルやアピール名は古い映画を参照した作りになっていて、劇中映画のラストは気狂いピエロの「地獄の季節」引用をまねて終わる。登場する映画監督は、延々と昔の映画批評家のような語り口で話す(そんな映画監督がゴダールと被るラストを撮るだろうか)。私はこういうペダンティックなノリはあまり好まなくて、どうにも物語より作家のスノビズムが前へ出てしまう気がする。それとこういった構造にすると解釈する側もどうしても元ネタ探しに注力してしまうのも苦手な要因である。

 だがそんなことを考えていたのはTRUE ENDコミュを読むまでで、最後まで読むと(もちろん衒学的な物語で興奮するタイプのライターだなあという印象は消えないにしても)この物語はその構造が必要な物語なのだとよくわかった。間違いなく、これは傑作だ。

 元ネタにしている名作古典映画の存在がそのまま「役者を永遠の未来の幽霊にする映画」という存在がここにあることの証明である。アイドルという存在、その裏側にある自分の存在、アイドルを消費するファン、アイドルを支えるP、そして示された別の未来の狭間で決断できずに苦悩する冬優子の姿を、作品が作れない監督の混乱をそのまま映像化したような「8 1/2」にかぶせて本作のモチーフにしたのだろうか。次のコミュではラストでPと冬優子が手をつないで輪になって踊るかもね。

 一つ目のコミュタイトル「発火 1/2」は、もじりであると共に、映画に出る前のこの時点ですでに二人でひとつのアイドルのPの片方にすでに火が付いていることを示していて、秀逸だなあと思った。

 

 この物語はこれまで冬優子とPが築いてきた【ふゆ】のその先を描くスタートラインの物語だ。【ふゆ】が大きく評価され、アイドルとして仕事を得られるようになり、冬優子にとってアイドルが夢ではなく現在進行形の現実になった中で、「かなえた夢の終わり」が見えてくる。アイドルであることが現実になったとき、では次に冬優子はどんな未来を描くのか、というところがこれからの黛冬優子の物語のテーマになるのだろう。自分の答えの出ない問いに気付けてないPへ強烈なもどかしさを感じる冬優子は、結婚して恋人のころとは関係性が変わって揉める直前のカップルみたいな生々しさがある。

 永遠と一瞬。そしてアイドルで在ることと、いつかアイドルではなくなること。というテーマ性はどことなくノクチルが担当するモチーフな気がしていて、ここにきて冬優子にこの問いが訪れることには驚いた。しかしコミュを読むと、確かにこれまで長く時間をかけて描いてきた結果、【ふゆ】というアイドルはすでに世間に認められているわけで、それを踏まえてその先を描こうとすると、冬優子がぶつかった今回の問いにはかなり実在感がある。

 劇中映画では冬優子は命を削りながら他者のために生き、そして技師と出会い永遠の存在になる。冬優子が演じるキャラと共に旅をしていた医師は永遠になった彼女のそばにはいない。では現実においては、というのが冬優子の問題となる。監督という冬優子を永遠にできる存在が提示する「才能によって俳優になる」という道と、Pという医師と共に【ふゆ】が消費されきるまで共に旅する道のどちらを選ぶべきか。問題なのは、冬優子にとってはアイドルという道はもはや自分一人で歩む旅ではなく、Pとの共犯関係で作り上げた【ふゆ】という存在をどうするか、というものになっていることだ。冬優子が永遠よりも求めるものに手を伸ばすには、Pが同じ方向を向いていないとならない。

 「あんたも映画に出れば?」という問いかけは、共に永遠の存在になってほしいという告白ではなく、アイドルではない自分の未来の道にもPが共にあってほしいという告白だったのだと思う。そしてアイドルであるが故にその問いを冗談だといいつつも、劇中映画の結末をPが「良いラスト」だと思うのかどうか独り言つ姿がとてもいじらしくて、辛い。あの映画の結末は、「冬優子が永遠のものになる」=「冬優子がアイドルではない道を選ぶ」=「Pが冬優子を手放す」という結末であって、冒頭のコミュで示される「ふゆがアイドルではなくなればあんたはプロデューサーではなくなる」という論理と合わせて考えると、冬優子の中に起きている激情が垣間見える。

 Pはカメラの中の冬優子の輝きに置き去りにされる不安を抱えつつも、まだ冬優子の葛藤には届いていない。

 

 【ふゆ】も黛冬優子も誰かに認められる存在になったからこそ起きてしまった未来への問いに何も道が見えないまま物語は終わる。次のコミュがいつなのかわからないし、結論によっては傑作の本作への印象が大きく変わってしまうかもしれない。助けて愛依ちゃん。