ラノベ書きしもの日記

ワナビの日記

救いも許しも訪れない世界で生きる方法 映画感想『魂のゆくえ』

 観ようと考えていたシュレイダー監督の「カードカウンター」を見逃したので、未見だった「魂のゆくえ」を観た。

 人生に絶望している牧師がとある夫婦に出会い、夫の絶望を機に自身の信仰への疑念を抱き、さらに逃げようのない絶望にたどり着くお話。

 

 狭い画面と劇伴もなく淡々と主人公の牧師のモノローグや対話が進んでいく。静かで

 息子をイラク侵攻へ送り失った牧師。環境破壊による将来的な破滅を前に子供をおろした方がいいと考える環境活動家(でも避妊はしない。キリスト教どっぷりだからか?)。思いつめた男が二人。牧師は息子を失って人生に絶望し、酒におぼれて血尿が出ても病院にもいかず、自己弁明のような日記をつける日々。町の大教会は献金する企業に顔色を窺い、環境破壊については口を閉ざす。信仰は軽々と社会にゆがめられる。

 大義の無い戦争、企業に取り入る教会、全く環境汚染を止める気のない社会。そこに子供を産み送り込む人間たち。と、社会があり、それが人間を苦しめ、しかし社会構造の問題ゆえに個人のもとに救いが訪れることはないし、その個人ではどうしようもない罪に許しは訪れない。世界はどう考えたってどうしようもないし、このままではダメに決まっていて、そこにいるだけで手は汚れていく、でも世界は良い方向へ進もうという気がさらさらない。

 でかい教会は配信設備もあっていい身なりになるけれど、金が要る以上企業に組み込まれる。しかしそのくらいの商魂がないとなりたたない。それもまた絶望で、信仰心が教えを真っすぐとらえようとするほど、実社会でそれが維持されるために発生する淀みが人間を圧迫する。

 マジでどうすることもできないものがどうすることもできないまま人を圧迫する様を静かに描く。その描き方が淡々としていて、その静けさが狭い画面とあいまってひたすらしんどさを増していく。窮屈で逃げ場がなく、当然のようにそこにある絶望。とすると環境活動家のように死を選んで逃げるしか逃げ場がない。でも有刺鉄線を体に巻いたり酒に溺れたり自傷しても自分を許して生きるのは無理で、救われもしない。となると何が選べるかというと、自分で自分の何か、幸せなり罪との向き合い方なりを見つけながらしんどい場所で他人とかかわるしかない。罪はさいなみ続けるけれど、それしかないと苦行を歩くのが、この監督の答えなの……か? 誠実に社会を考えるとこういう答えになるのかもしれない。

 

 金持ち権力ずぶずぶでっか教会の人がスーツで太ってるっていうはかなりステレオタイプな気がしたが、そういう方がわかりやすいのかも。大企業が環境破壊について「いろいろ議論があってー」というベタな理屈と、「宗教の場に政治を持ち込むな(宗教家の政治思想、スタンスに介入している時点で企業が宗教に政治を強制している)」「まず自分から見直せ(お前は?)」というネットなどでよくみる地獄ゴミカス理論が出てきて、まあどこの国もこのころも今も変わらんなと思う。あと牧師がいろいろな人と問答するのだけれど、それが全部自分に刺さるような言葉になっているのが構造として面白かった。

 また、面倒をみようとしていた環境活動家の死というショッキングなエピソードではなく、彼の問いを受けて企業に慮るべき場で資本家に噛みつく選択肢を選んでしまう部分を物語のミッドポイントに選ぶところも構造的に面白い。インパクトやわかりやすさより物語への誠実さを前に出す作り。

 日本でこういう政治と宗教のずぶずぶっぷりを描くそこそこの規模の映画って絶対できないんだろうなというのを考えるとそれもまた絶望。

 

 重たい画面についに静かにサントラが流れ始めた瞬間の映画としての高揚感はすっげえかっこいい。少し救われるラストはいいんだけど、でもやっぱり爆発してみんな死んで終わりだったらよかったなと思ってはしまう。あとトリップ映像はなんかヘンテコで説教臭くてもうちょっといい感じにならんかったもんか。