ラノベ書きしもの日記

ワナビの日記

読書感想 『隷王戦記3 エルジャムカの神判(森山光太郎)』 ※ネタバレあり

 全三巻の最終巻。神々が人類から選んだ数名の英雄に超常の力を与え争わせる世界、運命に絶望し人類廃滅に動く覇者エルジャムカと、唯一エルジャムカを殺しうるカイエンの戦いの物語。

 結末までネタバレありです。

 

 神が決めた悲劇しかない運命に絶望したエルジャムカと、その運命に絶望せず立ち向かうカイエンの戦い。神がいることこそが絶望につながり、その絶望に満ち満ちた人々は自立をやめ運命の奴隷になる。絶望に飲まれた戦いを、絶望=運命を前にそれを理解した上で絶望せずに立ち向かう。という中心を抜き出すとこれは紛れもなくオーフェン。私はなんでもオーフェンを見出す中年なのだが、本作は作者が明確にオーフェンについて語っているので気兼ねなくオーフェンの名前を出せる。

 さらにそこに様々な史実を積み重ねて世界・政治・人物・戦争と積み上げている。

 とにかくたった三冊でここまで詰め込めるのかという大規模な戦争と、その準備・継続時点での苦労、さらには多面で続く戦場の推移を混乱なく描き、最終巻の本作では次々死ぬキャラたちの泣かせどころもバッチリという、作家の知識量も技量もみちみちに詰まっている。もう一冊くらい書いて、アルディエルとフランに掘り下げがあってもなあとはちょっと思ったけれど、そうするとこの熱量は味わえないのでこの作品はこれでいいんだろう、たぶん。とにかくこの詰まりに詰まった凝縮展開が大変楽しい。

 主人公はとにかく絶望をぶつけられまくるのだが、それ以上にかわいそうなのは最強の将カイクバードで、深い絶望からついに希望を見出したと思ったらとんでもねえ仕打ちが待っている。これは完全に、主人公には物語構造上ぶつけられない上げて落とすイベントと、とあるキャラの状態を見せるイベントを実施するためで、このために二冊かけて主人公サイドでとびきり深く掘り下げられたのかと思うと辛い。嫌な読み方だけど、運命に抗うキャラクターたちであっても、作者という神が押し付ける絶望からは逃れられない。いかんせんフランがほぼ出てこないまま覚悟完了して物語を終わらせるために勝手にたった一つの解決策を実行する機械仕掛けの女神なので、よりカイクバード虐めがひどく見える。虐めやすいように異常な強い男にしたんだなと三巻でわかる。

 人々の隷下にある王=隷王というタイトル回収もあり、運命の隷下にあるエルジャムカとそれと対峙する希望の隷下にあるマイ&カイエンという構図が明確になって、そこんところも熱い。ラストバトルは少年漫画的な熱い希望と絶望、エルジャムカのあまりに大きな力ゆえの孤独と、力と孤独と絶望を抱える力を手に入れたカイエンのセリフはあまりに少年漫画的な真っすぐさだが、それがまったく臭く感じないくら、そこにいたる物語上の論理が固く感情もしっかり積まれており、上手い。

 

 ただラストの展開は物語上美しい結末だし、矛盾もないし、そこへ積み上げられたキャラの感情は本当に泣けるのだが、しかしその結末の付け方はちょっと好みでない。運命が絶望となり人はそれに従うしかない中で、それでも絶望せず、例え先延ばしであっても希望をつなぐという中心軸を抜くと確かに紛れもなくオーフェン。だが結末の付け方が全く異なる。オーフェンやスパイラル~推理の絆~のような神の引いた線から抜けるのではなく、円環を作って止めるという発想は個人的にはどこか後退に思えるのだが、それは私がその辺り物語に縛られているからで、こういう方が最近の物語らしさがあると思うし、何より論理がきれいに見えるのは確かだ。人が人の力で滅びる道を手にした(だから後は人間がその責任で世界を生き抜かなければならない)というこのラストはオーフェンと同じなんだけど、 でもこの結末って神を受け入れて、神の支配の範疇で人間がどうするのかって話で、神は倒せないし抗えないという部分を受け入れてしまっているので、どうにもそういう神概念は苦手だ。

 しかし戦記ものであり、かつてよりかなたへと語られ続ける神話の一つがここに紡がれているのだという物語の〆方はやっぱりきれいで、そこを気に入らなかったとしてもこの物語が傑作であることは間違いない。注目の作者で、追いかけていきたい。