ラノベ書きしもの日記

ワナビの日記

去り行く創作者の祈り 映画感想『君たちはどう生きるか』 ※ネタバレ

 宮崎駿監督最新作「君たちはどう生きるか」を観たので感想を。

 結末含めネタバレがあります。未見の方はご注意ください。

 

 本当に素晴らしかった。泣いた。本当に泣いた。あなたがこの映画を観た劇場で、近くに座る中年男性が瞳をうるませていたら、それは私だったかもしれません。

 

 何が素晴らしかったか、という話の前に、なんだかなと思った部分を書きたい。

 ひとつはアニメーションの動きの面白さが、過去の宮崎アニメに比べると弱い。それでも美術とか細かい動きとかここまで描くアニメは希少なわけで、贅沢な話ですが。脚本については構造に興味がなくなっているにせよあまりいいとは言えない。あと、マザコン全開というか、エディプスコンプレックスというか、女性観は変わらずきつい。そういう隠す気のなさを前に「これができるのは宮崎駿だけだな」というエゴを隠す気のない姿勢に感嘆する部分はあるのだが、同時にやっぱりそういった価値観へのきつさはある。あとお父さんもきつい。

 さて、ここから先はよかったと思ったところを書いていく。

 

 アニメーションの面白さが弱いとは書いたが、序盤はすっごくよくて。燃える病院へ走る風景の異様な描き方や、アオサギがじりじり日常に入り込む不気味な空気はもう本当に素晴らしい。アオサギの異質な存在描写やギミックはすげえいい。塔に入ったときの本棚の扉も、ここから先は妄想狂の脳内だという質感ですっげえいい。しかしその後の塔の中の世界については、過去のジブリ作品と似ているがそれらより少し弱いみたいな部分が多くて、一人の監督が紡ぐ妄想の世界に圧倒される快楽みたいなものが弱い。どこか過去の作品や、実在の風景、映画の引用といったものでそれを補強しているようにも見え、その弱さを設定面で正当化するようなストーリーにもなっている。

 しかし、私はそこに感動した。

 話は逸れるが私はプロレスファンだ。プロレスは虚実入り混じる特殊な競技で、格闘技とは違ってレスラーは下手すると老人になってもリングに上がる。歳をとったレスラーはあちこちに故障を抱え、かつてのエース選手も全身ボロボロで走ることすらままならなかったりする。その老いや怪我にレスラーが抗う姿に観客は感動し、かつてと同じものができない状況で面白い試合を作り上げるアイディアや技術・演出を試合から汲み取ってさらに観客は感動する。

 この映画にはそういう感動があった。このアニメの世界がかつてに比べてイマジネーションが乏しいとしても、しかしその中で表現を作り上げるために、物語の構造にその表現力の衰えをも組み込むことで成り立たせようというこの作品の姿に、同種の感動を覚えた。

 物語のラスト、この世界は大叔父の妄想の中にあることがわかる(それ含めて主人公の空想かもしれないけれど)。そして主人公はその世界を引き継ぐことを求められるが、拒絶する。これは新海誠が天気の子で好きな少女か世界の命運かの二択というセカイ系的問いに対して、「いやそんな問いを子供にぶつける世界がおかしいんだから彼女をとっていい」と背中を押したような、そんな若い世代へのエールにも思える。

 老いた創造主からの切実な引き継ぎ要求に対して、主人公はフィクションの中に生きることも創造主になることも明確に拒絶する。しかし自分の世界を作り生きる決意をした主人公の手には、大叔父のフィクションの一部が握られている。それは去り行く創作者の祈りだと思う。

 アオサギ鈴木敏夫だとか高畑勲だとか言われるしそれは正しい絵解きなのだと思うけれど、私はアオサギはフィクションそのものだと思う。それは嘘で出来ているし、子供はいつかその嘘でできた生き物を忘れてしまう。けれどフィクションは子供を守る友であり、忘れても友との時間はどこかに残る。創作者は老いるし、フィクションはいつか消えるけれど、その中を通った子供はフィクションの一部を受け取って新しい世界や現実を作っていく。フィクションは無為には消えない。それは虚構への祈りであり次世代へのバトンであり、そういうのが好きな私としては泣けてくる。最後現実に解き放たれるのが主人公と母だけではないのもよくて、鳥たちは元の姿ではなくなるけれど、姿を変えながらも現実に解き放たれる。それは創作者の考えた通りにフィクションが現実を書き換えるなんてことはできないけれど、しかしその残り香みたいなものは世界へ拡散していくのだという、淡い願いのように思えた。

 あとペリカンのエピソードもすっごい好き。あれは、人間の勝手で放たれた野生生物の悲哀やそんな現実への批判であると同時に、フィクションのキャラクターにだって悲喜こもごもあって血も流れ死は悼まれるというフィクション愛にも思えるし、物語る行為には存在しない命を背負う責任があるのだという責任感や罪悪感にも見え、そんな複雑な挿話。ここは芝居もいい。

 「君たちはどう生きるか」は「俺はこう生きた」という創作者の姿そのものであり、「俺はこう死ぬ」という創作者の声明であり、同時に「君たちはどう生きるか」に対して「そりゃ自分なりになんとかやっていくしかねえだろ」という当然の返答を肯定している(友達作ったり立派に生きてくれよと老人のわずかな頼みを含むが)。説教みたいなタイトルだなと思ったらそんな内容ではなく、むしろわりとすっきりした老人の映画だった。

 ロングランするだろうし、もう何度か劇場で観たい。