ラノベ書きしもの日記

ワナビの日記

圧倒的才能が人を孤独にしないという稀有で誠実な物語 映画感想 『BLUE GIGANT』

 アニメ映画『BLUE GIGANT』を観たので感想を。ネタバレありです。

 

 素晴らしかった。まず曲がいいというだけで劇場で観る価値がある。

 主演三人の芝居もよい。最近はタレント吹替に変なものがなくて、むしろタレント人気のある本職声優が「豪華声優集合」みたいな看板で集められてアニメやゲームで各声優が人気を取ったときの芝居の質感に寄せた演出をされた時の違和感のほうが目立つ気がする。

 また、劇中JASSの三人の前に大人として立ちふさがる平役の東地宏樹の芝居が本当に素晴らしかった。JASSの三人が非声優ゆえに声優慣れした人のマイク前芝居とは少し違うのだが、東地さんはそこに寄り添うような生っぽい芝居をしつつ、声優然ともした圧巻の得難い演技。私は東地さんの舞台での芝居も好きなのだが、やっぱり声優・東地宏樹の芝居は格別に思う。

 

 物語の構造がちょっと変わっているなと思った。主人公として冒頭から君臨するのはテナーサックスの宮本大なのだけれど、本作は主人公の葛藤や困難によって進むベタな物語構造をとっていない。大は天才であり、努力家であり、孤高の存在である。しかも運もあって、偶然入ったジャズバーの店主に認められて東京で資金力がないと得難い練習場所も手に入り、紹介されたライブで才能のあるピアニストとも出会える。しかもピアニストの沢辺は作曲もできるし戦略もあるのでどんどんうまくいく。常に真っすぐ邁進して、物語を作るような困りが起こらない。才能のせいで孤独になったりもしない。

 こうなると通常は物語の推進力がなくなるのだが、ここで大の天性の才能を物語の中心軸にありつつも、その才能があるがゆえのバンドの残り二人が何かを思い考え比較され葛藤や決断を迫られるという構造になる。才能ある人間を主人公にしつつ、その才能に本人が振り回される構造はとらず、才能を浴びる周囲の人間を動かすというチョイスが、この圧倒的な音楽劇をこの長さで見事にまとめている。そうでなかったらたぶん、総集編映画みたいになってたんじゃないか。

 主人公は大だが、物語の中心は間違いなく沢辺で、彼が天才と出会い・活躍し・壁にぶつかり・成長し・そして救いと別れを得るという構造にしたのが大正解だと思う。

 ラストの三幕、沢辺の事故以降は残り時間とイベントの数を考えるとかなりぎゅうぎゅうに詰め込んでいるのだが、そのハイテンポな物語を短いセリフでバシバシ時間を飛ばして作り上げているのは脚本の見事さと思う。この映画は先の構造の選択といい、たとえば過去回想を容赦なくライブ中に映像だけで表現することで時間が戻る手間を省いたり、シナリオがうまい。特に事故→ライブまでのサブキャラクターたちの葛藤と決意を描くのに最低限のセリフと芝居に託して進ませるのは、シナリオライターの腕のよさだろう。「治るかもしれない。治るかもしれないって」「やれることを全てやるぞ」みたいなセリフでライブまで飛ばしていくのは、ふつう中々チョイスできないし、うまくやらないと雑なだけになってしまう。

 

 作画についてはよかったり悪かったり。まず全体的には、漫画の作画をそのまま動かすような演出がすごくよかった。漫画のような効果を入れていたり華やかな躍動感のある止め絵で見せたりと、漫画を読んだときに感じる気持ちをそのまま映像で作り上げるような作画が素晴らしい。

 一方でライブシーンでは、演奏するミュージシャンの実際の映像をCGで取り込んだっぽいCG丸出しの作画が混ざっており、この絵のぬめっとした色遣いと硬い動きが、まあ違和感がすごい。前述の漫画のような作画の画風と全く違うので物凄い違和感。急に違う人になったくらいの拒否感がある。

 例えばライブとライブ以外で画風が違うなら、同じ人でもスポットライトの下は違う世界なのだという演出上の動機付けみたいなものを読み取ることもできるのだが、混ざってしまうとそれはただの大人の事情でしかないわけで、それってただの作りこみの漏れじゃないですか。それはちょっとなあ。

 

 本作は劇場での拍手をOKとしているのだが、これについては本編が始まる前にテロップで通知すればよかったのにと思った。私はたまたま隣のご婦人が一緒に拍手してくれたので抵抗なかったが、遠慮がちに探るように拍手が起こるのはなんだか気まずいし気が散る。鑑賞スタイルを決めたなら誘導する気遣いみたいなこともしてほしかった。