ラノベ書きしもの日記

ワナビの日記

キャラクターが作者をあばく 映画感想『キャラクター』※ネタバレ

 映画『キャラクター』を観たので感想。監督:永井聡、脚本:長崎尚志、川原杏奈、永井聡、出演者:菅田将暉FukaseSEKAI NO OWARI)等。

 

 あらすじ:漫画家志望だがくすぶっている青年・山城は、取材先で猟奇殺人事件に遭遇する。そこで出会った殺人鬼の姿に魅せられ、山城は事件と犯人をモデルにした漫画を描くと大ヒットする。だがその後、殺人鬼が逆に漫画を模倣し始めた。やばい。って話。

 

 邦画スリラーで人気俳優主演に人気ミュージシャン初芝居、となると地雷の臭いがして公開当時は観ていなかったのだけど、ふいに思い出して配信で鑑賞。面白かった。

 ハラハラしたままストーリーが進行するし、血もいっぱい出る。家庭の映像をライティングと小さな手振れで不穏にしたり、警官の捜査時に大量の足から映したり、画面作りも工夫がある。手堅くいい感じ。

 

 私は「いいやつには面白い作品は書けない」系の創作論って基本的には作家が自分の都合のいい生き方をするために作った言い訳で、権威主義な読者がそれにのっかっちゃって真実のように見えているだけの虚像だと思っている。本作はいいやつだから山城は書けなかったわけではない、というストーリーになっているが、それは逆説的にこの説の「悪い奴だから流行るものが書けた」を強調しちゃうのもなんだかな。

 もともと殺人鬼だった両角が山城の作品に呼応していく様は一見、山城の作品を都合よく解釈した狂人の物語に見える。しかし本作は双方的で、殺人鬼を追いかけることで山城もまた目を向けなかった自分の内面に直面する。彼は善人だから悪党を描けないのではなく、自身の悪から目を逸らしているから悪が描けないというのが見えてくる。

 無戸籍で「幸せな四人家族」を形成するために産み落とされ、さらにそれが崩壊した、という両角は「全てのキャラクターを奪われた」存在だ。彼は殺人鬼・辺見との交流で自分に「幸せの破壊者」というキャラを付け、いつしか辺見を飲み込んでしまう。そして「幸せな家庭を羨むがそれを表に出せない」山城が、自身の破壊衝動の発露として描いたダガーを観たことでさらに暴走していく。彼が山城の作品通りに動くのは、山城が求めていた存在を「自分のキャラ」にしたからだ。そして自分の中から生まれたキャラと直面した山城は、再度「家族と和解」することで自分をいいやつにしようとして、最後は両角に殺されることで「いいやつ」として死のうとする。だが最後は両角と対決して自身の悪を爆発させ、漫画に描いた作家・殺人鬼の構図と逆転した状態で倒れる。ここの解釈はどうなったのかかなり委ねられていて、考えると面白い。

 一見、ダガーの役割を山城が継承したように見える。山城の妻を監視するなぞの視線も、それを補強している。不穏だが、一方で山城が清田のイラストを描いているのは、わずかな希望だと思う。その遺志が残っていれば、悪意をぶつける先が人間ではなく創作になってくれるかなーと、そんなわずかな希望は本当のラストの刃を研ぐ音で薄れてしまうのだが……