元ワナビ日記

つまらな人間のブログ

“日常系”を紡ぐ眼差しの到達点 映画感想『きみの色』※ネタバレ

 山田尚子監督の最新アニメ映画『きみの色』を観たので感想。

 

 あらすじ:全寮制カトリック学校に通う女子高生・日暮トツ子には、人を見るとその人の“色”が見えるという不思議な力があった。うつくしい“色”を持つ同級生の作永きみのことが気になるトツ子だったが、ある日きみが退学したことを知る。きみの目撃情報を集め、バイトする書店を探して街を彷徨うトツ子は、古書店でギターをひくきみを発見する。偶然その書店に居合わせた高校生の少年・影平ルイとの会話が思わぬ方向に転がり、三人は突然バンドを組むことになった。

 

 

 キャラデザ&作監が『平家物語』の小島崇史、脚本は『リズと青い鳥』の吉田玲子、内容は高校生のバンド結成&ライブ、という山田監督の全部盛りみたいな企画。いかにもこのプロデューサーらしいなと思う。若い女子にバンドやらせたがる商業の臭いを消す気のない最近のアニメのノリは、その楽曲姿勢から来る中高年が若年に何かを代わりに背負わせてやってもらうような座り心地の悪さを感じる。さらに私は宗教嫌いで、宗教教育も大嫌い。もっと言えばキリスト教的な“罪”の教育は害悪だとすら思うし、作中のきみがカトリック学校に入ったのはマジで悪手が過ぎる。お前はこの檻に入れ、はみ出すな、というそもそもの宗教の持ってしまうカタにはめる姿勢が紛れもなく彼女を苦しめる一因ではあるわけで、そこを無批判に美しいモノとして描く姿勢には全く賛同できない。

 つまり私はこの映画の前提となる価値観には全くノレない。

 そしてそんなことをふまえてもなお、この映画は素晴らしかった。

 

 光は波で、音も波だ。トツ子の見た美しさが溶け合い、音楽という形で吐露される過程が見せる、悩み迷い壊れそうになっている彼らが少しずつ前向きに色づいていく姿の清々しい美しさとエネルギー。リズは素晴らしい映画だったが、ちょっと私にはその作画や色味が幽玄をはみ出して生気が薄く見えてしまったのだが、本作はカラフルで若い彼らの苦しみの中にしみこんでいく鮮やかな生命感が心地よかった。そしてトツ子というレンズがキャッチした色が、いずれ彼女も色づけていくラストが美しい。誰かを見つめることに夢中で自分を見ることから離れていた彼女が、二人とバンドを通して自分についた色へ降り注ぐ光を見つめる姿はじんわりと良い。

 全体的に抑制の効いた端正な映画で、ともすれば地味にすら映るかもしれない。しかし日常系というレンズが捉える心の機微、生身の人間の心の中に揺れるその水面の小さな波に目を向ける、その静けさに満ちたこの映画の“地味さ”こそが日常系の金字塔を作り上げた京アニから続く眼差しのひとつの到達点なのではないか。少し前に、アニメキャラに現実っぽい生さ(例えば生理や射精、強姦などの性描写)を付与して、現実と地続きにしようという演出があったが、山田監督は日常系の延長線上においてそれとは違う新しい実在感のアニメーション演出を作り上げたように思う。美しい色合いでできた画面、細かく描かれたまつ毛や揺れる瞳。淡い恋や、淡く広がる家族との溝を映す丁寧な作画は、劇場でじっくりと観るに足る大画面に向き合うに足る静謐な感情がつまっている。丁寧でやさしい、キャラクターを監督の奉仕者にせず、監督がキャラクターに耳を傾けて作られた映画だ。

 じりじりとキャラクターの心に積み上げ、ひび割れそうな器が強固な光を浴びて溢れだすライブシーンの抑制の効いた演出も大変好みだった。私はカメラを意味もなくぐるぐる回してエフェクトばちばち光らせる作画を”いい作画”と呼ぶのは疑問で、善し悪しって枚数じゃないじゃない。この映画は全編、本心で思える意味で“いい作画”だった。

 その寄り添う視点によって、本作は「こんなやつらいるかよ」と思うような、例えば私のようなひねくれた人間の視線を軽やかに飛び越え「でも、この映画の中には間違いなくこいつらはいるよ」と思わせてくれる。そんなアニメーションの魔法に出会える、素敵な映画だ。

 

 メガヒットしてほしい。みんな観よう。