元ワナビ日記

つまらな人間のブログ

狂気の雲を抜けた先の景色 映画感想『クラウド』※ネタバレ

 黒沢清監督の最新作『クラウド』を観たので感想を。ネタバレありです。

 ジャパンプレミアの抽選に当たり、公開前に鑑賞。公開前ですが、特にネタバレ解禁日などは通知がありませんでしたので、明記こそしませんがオチまで含めた感想を書いています。

 素晴らしい映画でした。黒沢清ファンなら心配無用の内容なので絶対観た方がいいし、黒沢清監督作未見の方でも緊張の途切れないスリリングな作劇は飽きずに一気に突き進むし、菅田将暉さんはじめどのキャストも素晴らしいのでおすすめ。こういう映画がめっちゃヒットしてほしい。

 

 あらすじ:クリーニング屋で働く男・吉井(菅田将暉)はラーテルのハンドルネームで転売ヤーとして活動していた。転売ヤーに専念するため、吉井は恋人のアキコ(古川琴音)と共に群馬の山奥に移住する。転売を続ける吉井だったが、ネットでは無法な転売を続けるラーテルへの憎悪が渦巻いていた。暴走する憎悪はついにエスカレートし、吉井は正体不明の集団から襲撃を受ける。

 

 以下、結末までネタバレあり。ネタバレを見ない方が絶対に楽しめるので未見の方はまず映画館へ。

 

 冒頭、おそらく倒産した町工場に乗り込んで高額医療器具を買いたたく吉井。吉井が家に戻り、ブラウザ上で出品した商品が売れるのをじっと見守る姿。その菅田将暉の熱のない茫洋とした表情と、黒沢清らしさ全開の不気味な暗がりに覆われた部屋、そしてじりじりと暗闇を揺らしてついに浮かび上がる『クラウド』というタイトル。おお、黒沢清の映画だ。この何も起きていないのに、既に現実の境界線で不気味な何かが滲みだそうとしている予感が満ちていく抜群の不穏。そしてそこに見事にたたずむ菅田将暉の見せる巧みな空虚さ。この映画は大好きなやつだ。という期待感に満ち満ちる。

 

 そんな違和感はありつつ、本作は大変すばらしくて大満足だった。

 CURE同様にある大きな意思が境界にいる存在を呼び込み一つの世界・一つの価値観で上書きしてしまう物語になっている。不可避の塗り替えがどうなされるのか、一つの映画が一つの世界の存在を浮かび上がらせる快感を知る黒沢清監督のファンならばラストの車窓から見える光景には笑みが浮かぶだろう。集団の中心軸をもたない雲のような狂気を抜けた先に待つのは希望や安全ではなく、実体を持った明確な地獄だというのは、そうそう観られないゾクゾクする結末だった。

 

 ”金”というのは本来ツールで、それを求めるのは金によって何か得たいものがあるからだ。だが吉井は何も求めていない、彼には本当に大切なものなんてないし、他者にも社会にも求めるものはない。吉井を狙う集団狂気がある種の感情の暴走である一方で、吉井にはそんな暴走する熱すらない。ただ黙々と金を集める、経済のシステムでしかない。

 つまりはこの映画は、唯一彼の人間性が向いていた(と自分で思い込んでいた)アキコを捨てることで、吉井が本当にただのシステムに変容する物語だ。構造的には完全にCUREと同じだが、ラストの絶望はより大きくなっていると思う。虚無の最後までたどり着けば、その先は世界が滅びるまで無尽蔵に欲望を拡大するしかない。喜びも憎しみもない、欲しいモノのない吉井にはゴールがないから。

 この一つの世界の終りを見事に演出する黒沢清の力には、いつもほれぼれする。映画館という閉鎖された場所で、フィクションの形をもって世界の終りという得難い瞬間を目撃する快感。監督によって制御された時空を体験するという、根本的な映画の快楽を見せてくれる。本当にいい映画だった。

 

 という映画だと思うので、私としては宣伝でヒトコワとパッケージされるのには、ちょっと違和感がある。

 集団狂気はたしかに独善的で被害者意識が強くプライドは高く欲深くて誰かを罰して自分の優位を示したい、だけど欲望のわりに本当に求めるものなんてなくて、漠然と金とか支配とかそんなものを低い熱で求めている。その描き方は確かに社会のノリの戯画化になってはいるけれど、異質なのは主人公の造形だ。主人公もまた彼らと同じ、低い熱でただ漠然とした、なんの感情もなく本当に欲しいモノなんてないのに金だけを求める男として描かれている。たしかに殺されるようなことはしていないが、転売はそもそもろくでもないし、他人への何の気持ちもないのに自分でもそれに気付いていない姿は異様だ。ヒトコワと呼ばれるホラージャンルってもっと味の濃いネタとしての「人の怖さ」のイメージがあって、どうもぴんとこない宣伝だった。宣伝ビジュアルの袋男は全然重要な位置づけではなかったり、本筋がつかみどころのない本作の宣伝は大変だったんだろうなとは思う。